奴(とこせい やっこ)
《氷川町指定文化財-無形民俗》
北川、笹尾地区に残されている奴の演技は、いつの時代からはじめられたかははっきりしませんが、古老の口伝えによると、2年以上干ばつが続いた時の雨乞い行事としてはじめられたとされています。過去において、2年以上続いた干ばつは天明4年から5年にかけて(今から200年前)の他はないことから、その時からではないかと考えられます。北川地区は元種山手永に属していましたが、明治6年(1873年)の干ばつから宮原三神宮秋の大祭神幸行列に加わり今日に及んでいます。
「奴」の動作は、雨を降らすという目的から「振リ」の動作が主体で、雨を降り(振リ)出し、各家々に幸福を振り込むという意味にも通じています。
■由来時期:天明年間頃(1781~1789年)
● 口説 「セイ、トコセイ、トコセイ、マッカッショサ、ハリワセイ、イヤサトサ、ズイトコセイ。」これを2回くリ返し、「シッシッ」という静止のことばで取リ交わしの姿勢をとリ呼吸を合わせ一斉に取リ交わす。「テワェーハルワセイ」から2回目は始まる。 ●構成 1.露払い 2人 紋服に小刀を差し、弓を持って前駆として道をあける。 2.挾み箱 4人(内2人は替リ役) 昔はハッピに兵児帯、六尺ふんどし、小刀を差す。(小刀には銘刀も あつたが戦時中供出されて木刀に変わる) 3.大傘 2人(内1人は替リ役) 4.振傘(鉾) 2人(内1人は替リ役)
■所在地:氷川町大野(北川・笹尾地区)
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