保元2年(1157年)、肥後守平貞能によって茨城県鹿島神宮から分霊し、蛮賊防護のために勧請創建されたと伝えられています。天正年間に小西行長の手勢によって焼亡されたといわれていますが、慶長の初め加藤清正に上願し再興されました。
紅梁(こうりょう)(軒下の装飾品)上には「龍に雲」「牡丹に唐獅子」などの彫刻があり、文政元年(1818年)社殿改築時のものと考えられています。また手洗い石のそばに要石と呼ばれる臼状の石があります。これは地震を予知するナマズを踏みつけており、そのため地震などの災害がないと言い伝えられています。
■祭 神:武甕槌神(たけみかづちのかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)
■時代:保元2年(1157年)
■所在地:氷川町鹿島字西の間