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内田康哉誕生地(うちだやすや[こうさい]たんじょうのち)

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内田康哉誕生地(うちだやすやたんじょうのち)
 内田康哉は明治・大正・昭和の三時代を通じて、外務官僚として日本の外交を担った人です。明治20年(1887年)、外務省に入るとワシントン駐在を初めとして23年間外務官として活躍しました。明治44年(1911年)第2次西園寺内閣の外務大臣になったことをはじめとして、原敬・高橋是清・加藤友三郎各内閣の外相として活躍しました。この間アジアでは日韓併合が強行され、清国が滅亡し、ソ連が出現するなど外交の対応が困難になってきた時代でした。第2次山本権兵衛内閣の成立によって大臣を退いたものの、大正14年(1925年)枢密院顧問官、昭和6年(1931年)満鉄総裁を務めました。そのふっくらとした風貌と弾力に富んだ外交から、「ゴムまり外相」と親しまれました。
 現在は、その跡に竜北歴史資料館が建っており、干拓関係の資料とともに内田康哉氏関連の文書等も展示されています。

■生没年:元治2年(1865年)生~昭和11年(1936年)没
 
■所在地:氷川町鹿野126-1
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