日本においても火打ちのことは、「古事記」、「日本書記」のヤマトタケルノミコトの東征の物語でも記されてます。古来、火打石には石英の一種であるフリントが用いられてきました。
尖った角をお互いに打ち合わせても火を発しますが、普通はこれに鋼鉄片を打ち合わせて発火させていました。 この発火法は、「衝撃法」と呼ばれるもので、木と木をすり合わせ発火させる「摩擦法」に次いで古くから行なわれ、世界中に広く分布していました。
奈良・平安時代では「ひうち」は庶民の手には届かない貴重なものでしたが、摩擦法に比べて簡単な発火具であり石は比較的容易に国内各地の得られたので、次第に広く行なわれてきました。